記事更新日:2026年1月7日
当記事では大島を紹介するうえで「ハンセン病」について触れています。
書籍やWebサイト、ツアーや島民の方のお話などをもとに「ハンセン病」に関する記載をしておりますがしまネコ(著者)に医療的な専門知識はありません。
ハンセン病について適切な情報や助言が必要な場合は厚生労働省のハンセン病に関する情報ページの確認や医療機関へご相談ください。
また、事実と異なる情報や不適切な表現などがございましたらお手数ではございますが当サイトの”お問い合わせ”よりご指摘頂けますと幸いです。
大島について
大島は香川県高松市に属する有人離島で島全体が”国立療養所大島青松園”です。
現在、日本には国立ハンセン病療養所は13ヶ所ありますが離島全体が療養所になっているのは大島(大島青松園)だけです。
大島を含む全国の療養所入所者は全員が治療を終えた「回復者」であり、「患者」ではありません。
後遺症は様々ですが、全員が回復者であるため差別的な呼び方にならないよう、大島で暮らす方は「入所者」と呼ばれています。
2025年時点の大島の入所者は29人程で、平均年齢は87歳にもなります。
大島で暮らす入所者の方は後遺症により人前に出たくない方もいらっしゃるので一般の観光客が生活区域に立ち入ることは禁止されています。しかし、ハンセン病の事を伝えてほしいと考える入所者の方もたくさんおられるそうで、大島に見学に来た人に島の歴史を伝えたりしてくれる入所者の方もいらっしゃいます。(コロナ渦では2年間程交流を控えていた時期もあります。)
大島は瀬戸内国際芸術祭の第一回目(2010年)から舞台のひとつになっていますが、長期間に渡り島外とのコミュニケーションを遮られてきた入所者の方にとっても大島の瀬戸内国際芸術祭への参加は非常に勇気のいる決定だったはずです。
瀬戸内国際芸術祭への参加と後押しとなったのは2010年頃に厚労省が主体となって全国の療養所で考えられていた将来構想。
高齢化により入所者の方が減っていく施設を将来的にどう活用していくかを考え、老人ホームにするなど各療養所で将来構想が進んでいくなかで人口が少なく、離島という特徴を持つ大島青松園のみが唯一将来構想が描けずにいたそうです。
その中で”瀬戸内国際芸術祭への参加”が何かのきっかけになるかもしれないと自治会が考え、決断に至ったそうです。
この瀬戸内国際芸術祭への参加により、今では多くの方が大島に訪れ、芸術作品を通して大島やハンセン病の歴史について学んでいます。
ハンセン病とは
ハンセン病は「らい菌」に感染することで起きる皮膚や神経の慢性感染症です。
末梢神経や皮膚、眼などに障害をきたし、「知覚麻痺」「運動障害」「発汗障害」などの症状・後遺症に繋がります。
※ハンセン病は元々、癩病(らいびょう)などと呼ばれていましたが、偏見や差別のイメージから現在ではハンセン病と呼ばれています。
ハンセン病は遺伝することはなく、現代においては感染者からの伝染は発病が基本的にないことが周知されています。
現に2021年~2023年の3年間での日本での新規患者数は8人で、この内8人全員が日本人ではなく在日外国籍の方で、その原因は母国での感染と考えられています。
「らい菌」の発症力は非常に弱く、万が一に菌が体内に入っても免疫機能により発症しません。
免疫能力の低い乳幼児の時期に長期間に及ぶハンセン病患者と濃厚接触を行った場合に限り感染の可能性がある病気だそうです。
★ハンセン病につい参考にさせて頂きました。
・厚生労働省
・JIHS:国立健康危機管理研究機構 感染症情報提供サイト
・国立ハンセン病資料館
・国立ハンセン病資料館(学芸員 金 貴粉)
ハンセン病は現在では治る病気とされていますが、かつては誤った知識から不治の病を思われていました。
1907「癩予防に関する件」が制定されて以降、ハンセン病の患者は療養所への入所が義務付けられ、はじめこそ対象者も限られていたそうですが、徐々に対象者は広がり、ハンセン病の絶滅政策として多くの人が大島にも強制的に隔離されました。
家族からハンセン病患者を出すのは都合が悪いとの理由で実の母親から「首をつってくれないか」と言われた方もいたそうです。
アクセス

大島へのアクセスは高松港から。
1日5便ほど運行しており、高松港⇔大島の所要時間は20分ほどです。
入所者(島民)の方への配慮としてフェリー及び島内ではマスクの着用をしましょう。
※船舶運航時刻表はこちらから
大島の観光ルール
①船便及び乗船人数は限られています。事前に大島青松園のホームページで船の時間を確認しましょう。
※瀬戸内国際芸術祭期間中は混雑し、積み残しが発生することがあるので余裕のあるスケジュールを推奨。
② 入所者のプライベートを守るため、生活区域には立ち入らないようにしましょう。
③ 写真や動画撮影は、建物や風景のみ可能です。入所者や職員の撮影は行わないようにしよう。
④ ゴミは島に捨てずに持ち帰りましょう。
⑤ 島の人に出会ったら、元気にあいさつをしましょう。
大島の観光ルールだけでなく大島の歴史やハンセン病についても記されている高松市発行の大島マップを印刷orスマートフォンなどに保存していくと便利です。
大島の景色
盲導線

車道のセンターラインのような白線は、視力の弱い入所者の方が道を認識する為のものです。
盲導鈴
島内では誰もが聞きなじみのある「ふるさと」「乙女の祈り」が流れています。
これらの音楽は島内の分かれ道や建物の前などに設置されたスピーカーから流れ、盲導線と同じく入所者の歩行をガイドしたり居場所をわかるようにする目的があります。
納骨堂

海を一望できる大島の高台につくられた納骨堂。
今の納骨堂は2003年に新しく建て替えられたもので、はじめは1936年に納骨堂が建てられています。
大島で亡くなられた約2100名のお骨が納められています。
国立療養所大島青松園が開所した当時は納骨堂が無かった為、納骨堂が建てられる迄は次に紹介する「南無佛」碑にお骨が納められていました。
3つの石碑

「南無佛」には国立療養所大島青松園が開設された1909年~納骨堂ができる1936年迄に亡くなられた674名お骨が納められています。
「鎮魂の碑」には人工妊娠中絶により産まれることができなかった胎児の為に建立(こんりゅう)されました。
療養所内での結婚は許されていたましたが、子どもをつくることは許されておらず結婚する際には男性に断種手術が行われていたそうです。また、ハンセン病は遺伝すると誤った認知をされていたために妊娠した状態で入所してくる女性に対しても人工中絶が強制されていました。
「小林博士之碑」は大島療養所二代目所長の小林和三郎氏の慰霊碑です。
小林和三郎氏は医師として所長を務め大島で生涯を終えました。
大島療養所の初代所長は警察官僚だったので、医師として初めて所長を務めた小林博士こそが本当の意味での初代所長と慕う入所者も多かったそうです。
解剖台

大島の療養所へ隔離・入所する際には「解剖承諾書」という死後に遺体を解剖することを了承する書類への署名が必要だったそうで、当時の解剖台が展示されています。
解剖台は約40年程前に不要となった為、一度は海岸に埋められましたが瀬戸内国際芸術祭(第一回目の2010年)前に浜辺で発見され国立療養所大島青松園や入所者の方との相談のうえ展示されることになりました。
風の舞

「風の舞」は納骨後の残骨や灰が納められている鎮魂のモニュメントです。
「島で生涯を終えた方が、せめて死後の魂は風に乗って自由に解き放たれますように」という願いが込められています。
1992年に「大島青松園職員労働組合」「大島青松園」「入居者自治会」の3者協議により「風の舞」の建設が決定し、同年の8月に園職員、入所者、庵治町と高松市の約1000名に及ぶボランティア協力のもと制作されました。
大島に展示されているアート作品
大島は瀬戸内国際芸術祭の第一回目である2010年から、芸術祭の会場のひとつとして参加しています。
2010の芸術祭では”やさしい美術プロジェクト”による{つながりの家}のみが芸術祭のアート作品として公開されましたが、この他にもツアー形式で島内で要所を巡り大島やハンセン病の歴史について学ぶことができました。
通算6回目の開催となった2025年の瀬戸内国際芸術祭では大島のアート作品も増え、14作品+2イベントが公開されました。
しまネコ現在でも瀬戸内国際芸術祭の期間中はこえび隊によるガイド(参加自由/無料)で大島やハンセン病の歴史を知ることができるよ!
青空水族館


作家:田島 征三
作品名:青空水族館
展示会期:2013~
元々は入所者が暮らしていた建物に作品を展示。
部屋ごとに空間全体を使った”立体絵本”の作品がみられます。
作品が公開された2013年には春に人魚の部屋を公開し、夏・秋と会期が進むごとに順次公開作品を拡げていったそうです。
見逃しがちですが青空水族館の西側には人魚と海賊の話が展示されています。
青空水族館でみれる人魚や海賊が出てくるので屋内の作品と合わせて鑑賞することをおススメします。
また、青空水族館でみれる人魚と海賊を主役にした絵本も2013年に販売されています。


青空水族館に入って真っ先に目に入るのは大粒の涙を流し続ける人形。
人魚の涙はビー玉で表現され、人魚の落とす涙の音があたりに響きます。
床にも人魚が流したであろう涙が散らばっています。


等間隔に配置された3枚の絵。
ところが眺めていると1枚の絵に描かれた魚は絵から飛び出してあたりを泳ぎ始めます。
魚が絵におさまって動いていない時間もあるので、少し足を止めて注視してみるのがおススメです。


缶やペットボトルに発泡スチールなど、海に捨てられた漂流廃棄物でつくられた魚。
海洋汚染問題がテーマとされ、ギミックに触れると「どうして私を捨てたの」と語りかけてくることで鑑賞者に海洋汚染や環境問題に対しての警鐘を鳴らします。




その他にも海をテーマにした作品がいくつもあり、絵本になった海賊がいる展示ルームがあります。
半開きの押し入れのようなスペースに隠れている作品など、早歩きでみてしまうとつい見逃してしまいそうな作品もいくつかあるので、是非色々な所に目をやりゆっくりと鑑賞してみてはいかがでしょうか。
Nさんの人生・大島七十年 ー木製便器の部屋ー


作家:田島 征三
作品名:Nさんの人生・大島七十年 ー木製便器の部屋ー
展示会期:2013~
作者の田島さんが交流のある入所者Nさんから隔離された大島での生活を聞いて制作された作品。
Nさんの人生が各部屋で再現され、当時の辛い生活を呼び起こしています。












唐突な離郷、強制労働、結婚の果てに子供を授かるも当時は”ハンセン病は遺伝する”と誤った認知をされていた為
にこの世に生まれることができなかった子供。差別的に扱われる日常生活。
当時、ハンセン病は不治の病とされていた為、大島に入ると二度と出ることはできませんでした。
「光田さん!なぜわしを30年余分にとじ込めた!?」と作品内に名前の出ている光田さんとは本名”光田健輔”さん。
日本の病理学者・皮膚科医でありハンセン病撲滅のために患者の強制隔離を推進する「癩予防法」「らい予防法」の中心的人物として知られています。
{つながりの家}GALLERY15「海のこだま」


作家:やさしい美術プロジェクト
作品名:{つながりの}GALLERY15「海のこだま」
展示会期:2013~
大島で暮らす入所者の方は、昔は逃亡防止の観点から船を所持することは許されていませんでしたが申請をすることで島から出ることが許されていた時代もありました。
入所者の方が仲間内でお金を出し合い庵治町(香川県)の大工さんにつくってもらった船で釣りをされていたそうです。
自分たちも病気で大島に来ていながらも食料や薪を運んだり重症患者さんの看護をするなどといった患者作業というものをされている生活の中でも「この船に乗って釣りをしている時間だけは病気のことを忘れられた」と入所者の方は語られています。
ここでは入所者の方が実際に使っていた木造船が展示されています。
稀有の触手






作家:やさしい美術プロジェクト
作品名:稀有の触手
展示会期:2019~
大島で結成された”カメラ倶楽部”の最後の一人で「島の記録者」でもある脇林さんはハンセン病を患い1948年(当時17歳)に大島青松園に入所されました。
”カメラ倶楽部”の中心的な人物だった鳥栖 喬さんが晩年を迎えたある日に、「カメラ倶楽部をどうか頼みます。」と脇林さんに話され、当時の脇林さんは軽く受け流したそうですが、時折鳥栖さんの言葉を思い返しては、その言葉を噛みしめて活動を続けられました。
ここでは濃紺の広がる空間に”やさしい美術プロジェクト”のディレクター”髙橋 伸行”さんが入所者の脇林清さんを撮影したものを中心にいくつかの作品が展示されています。
脇林さんには後遺症があったため、自助具を活用して撮影する姿も写真におさめられています。



白い部屋には自助具や日用品、遺品などが展示されているよ。
また、作品タイトルの「稀有の触手」は大島の歌人”斎木創”の歌「唇や舌は麻痺なく目に代る稀有の触手ぞ探りつつ食う」から取られました。
リングワンデルング






作家:鴻池朋子
作品名:リングワンデルング
展示会期:2019~
かつて若い入所者が自力で掘った1.5kmに及び散策路「相愛の道」を作家”鴻池朋子”さんにより整備され再通。
2022年には崖下の浜へ下りる階段が石組みされ、2025年には頂上へのルート探しである行動展示が鴻池朋子さんにより行われました。(8月3日~8月5日)
音と遠




作家:梅田哲也
作品名:音と遠(おとととお)
展示会期:2025~
「音と遠」は目の不自由な人、大島で生きてきた人達、今も大島で暮らしている住人に向けて制作された音のインスタレーション作品。
1934年(昭和9年)の「大島療養所配置図」には41ヶ所の井戸が記載されていますが島の中で海水が混ざらない井戸は2つのみで、作品展示場所にある井戸はこのうちの1つ。かつて生活用水や飲用水として重宝されてきた井戸です。
また、大島の石を敷き詰めた場所につくられた「共鳴窟」に耳をそばだてると心地いい音が聞こえてきます。
森の小径






作家:田島征三
作品名:森の小径
展示会期:2016年~
かつては独身寮が建っていた場所に、大島で暮らす人たちや観光客が散策する庭が制作されました。
大島に自生するトベラ、ウバメガシ、山つつじなどが移植されています。
2025年には石の彫刻作品が追加され、車イスなどでも巡りやすいように改修が行われました。
海峡の歌/Strait Songs






作家:山川冬樹
作品名:海峡の歌/Strait Songs
展示会期:2019~
船の所持が認められていなかった当時、隔離生活から逃れる為に海を泳いで対岸の高松(庵治町)まで泳いで渡ろうとする入所者が絶えませんでした。



海流が厳しい為、実際に泳ぎ切ることは難しくて亡くなった方もおられます。
「海峡の歌/Strait Songs」では作家の山川冬樹さんが実際に高松(庵治町)から大島までの2kmを泳いだ映像作品を公開。
この際、水中スクーターが使用されて、それでも30分の時間を要しました。
裏側(北側)には大島~高松を泳いだ映像作品が展示されており、その際に使用した水中スクーターなどもみることができます。
歩みきたりて






作家:山川冬樹
作品名:歩みきたりて
展示会期:2016年~
大島の入所者「政石道夫」の人生を辿るような本作品。
政石さんは1923年(大正12年)愛媛県に生まれ、15歳の頃にハンセン病を発病しました。
ハンセン病であることが知れると、自分だけでなく家族も差別を受けてしまうことから、ハンセン病であることを誰にも知らせず戦地に赴いた政石さんは敗戦後にモンゴルに抑留され、帰国後は差別を恐れ自ら大島青松園へ入所されました。
政石さんの過ごした「大島」「モンゴル」「愛媛県」で撮影・録音された3つの朗読が呼応しあうことで一つの文脈となります。
作品の中で花が政石さんに語りかけてくる場面があり、この花の声は政石さんの大姪にあたる三好真由美さんが担当されています。



ホーメイ(ホーミー)というモンゴルやシベリアに伝わる独特の喉歌も流れているよ。
2025年には本作品の作家である山川冬樹さんが政石道夫さんに焦点をあてた別作品「結ばれて当たり前なる夫婦なりしよ」を公開しています。
支えあうことのモニュメント


作家:ニキータ・カダン
作品名:支えあうことのモニュメント
展示会期:2025年~
手と足、枝のような形で構成された彫刻作品。
手のひとつは生きている人の手から型取り、もうひとつの手と足は大島青松園社会交流会館に展示される義肢から鋳造で制作されました。
瀬戸内国際芸術祭への初参加となるニキータ・カダンさんは作品制作にあたり各島を巡りましたが、大島やハンセン病の歴史を知り、大島で暮らす入所者の方々が支え合いながら生きてきたことが深く印象に残り、当作品の制作に至りました。
結ばれて当たり前なる夫婦なりしよ






作家:山川冬樹
作品名:結ばれて当たり前なる夫婦なりしよ
展示会期:2025年~
1935年にたてられた教会で展示される本作品。
歌人”政石蒙”として活動された政石道夫さんと、らい予防法が無ければ結婚していたであろう渡辺美紗子さんの心の絆をテーマに制作された”結ばれて当たり前なる夫婦(めおと)なりしよでは、約27分間に及び政石さんの陳述書や渡辺さんの手紙が読み上げられるインスタレーション作品です。



作品タイトルは歌人、政石蒙の短歌の一部からとられているよ。
政石さんは15歳でハンセン病を発症しましたが、当時はハンセン病であることが知られると自分だけでなく家族までもが差別を受けることがあり、政一さんは病気を隠して戦地に赴きました。
ハンセン病であることを知られてしまうと差別を受けるが、戦争で戦死すれば「英雄」として死ぬことができる。
政石さんは「死ぬために戦争に行った」とも書き残されていたそうです。
結果的に政石さんは一度も戦闘に合わないまま終戦を迎え、モンゴルの捕虜収容所でハンセン病と診断され隔離小屋で生活をされました。
帰国後には差別を恐れて自ら大島青松編へ。
大島青松園に入所した政石さんは渡辺さんに別れを告げる手紙を送るも、渡辺さんは足しげく療養所にいる政石さんに会いにきました。
また、政石さんが故郷の愛媛県に帰った時には渡辺さんの家で数日間過ごし、お風呂場で背中を流すなどまるで本物の夫婦のような生活もされました。
しかし、身体が弱り、耳が聞こえなくなってしまった渡辺さんは療養所に来られなくなりました。
それでもFAXが2人の絆を繋ぎ続けました。
らい予防法が無ければ結婚していたであろう2人。
本作品のクライマックスではそんな2人の結婚式が表現されています。
当時、行われる事のなかった2人の結婚式が時を越えて行われたように感じる本島に素敵な作品でした。



この教会は今でも月に1回礼拝が行われており、毎週日曜日には交流会で自由に入ることもできるらしいよ。
KSB瀬戸内放送さんから山川冬樹さんへのインタビュー映像が公開されています。
山川さんが作品に込めた想いや、政石さんと渡辺さんの絆を感じることができました。
本作品に興味の湧いた方は是非観てみてはいかがでしょうか。


終わりに
しまネコ(筆者)は2022年の瀬戸内国際芸術祭ではじめて大島に行きました。
2022年は他にも「本島」「高見島」「粟島」「沙弥島」「伊吹島」の5つの島にはじめて行った年ですが、一番記憶に残ったのが「大島」でした。
他の島の観光に比べると考えさせられる事が多く、純粋に”楽しかった”という気持ちではありませんでしたが、間違いなく”行ってよかった”と思える島でした。
ハンセン病の歴史について知ることができるだけでなく、生きることについて改めて考えるきっかけにもなりました。



この記事を最後まで読んでくれたあなたにも大島やハンセン病の事を知ってほしいです。

